※ 十ニ月 十一日 ― 『カサマキ』の正体。 「笠牧さん。今は業務中です!先ほどから、
席を外してばかりですけど!地下の倉庫は、
禁煙ですよ!」
経理部内の室温は、急降下した。
冨樫の怒鳴り声が、カサマキの背後に向って、
そして跳ね返し、他の経理部員を動揺させる。
次回の経営会議の資料を見直していた、
安岡部長は、驚きを隠せない。
顔はかなり紅潮していた。
先月の末日に、チカコとの結婚を公に発表した
会の時よりも深みのある紅色。
「冨樫君!」
なんと言うことか、安岡は逆に冨樫を
注意しようとする。
カサマキのサボリを黙認した部長としての責任を、
まさに逆ギレに放棄して、全く正反対の立場の者を
標的にしようとしている。
安岡の婚約者チカコは、どうしたら良いか解らない。
いつもの凛とした美しい顔立ちも、よどみ始めている。
自分の存在が、経理部の雰囲気を崩し兼ねないと、
人事へ派遣契約の打ち切りを申し出たが、
予定の契約満了日三月末日まで、勤務するように
命じられた。
チカコが所属している派遣業者が、今後も取引を
継続させたいらしく、グレーな手段でまるまる商事を
説得したらしい。
“所属先の上司と不倫の上に略奪結婚・・・”
こんなレッテルも、安岡のこれまで会社に対して
献身的だった姿勢が大いに功を奏したのか・・・
役員たちは、祝福ムードだった。
会社から丸ごと弁護されている男に対して、
冨樫は立ち上がったのか・・・
興奮気味の冨樫の前に、フウカが立ちはだかった。
「笠牧さん、私も喉が渇いたところなの・・・
ちょっといい?」
冨樫に目でサインを送りながら、
カサマキを廊下へ出そうとする。
フウカは、冨樫が気持ちを落ち着かせてくれれば
良いと思った。
冨樫主任が『会社の膿をだそう』とフウカの前で誓
った日から、何やら影で動いていることは判った。
安岡部長に対して攻撃的になり、あせりも感じて
いることも判った。いくら天然のフウカも、解っている。
カサマキは、以前この会社でかなり上層部にいた
女性社員なのだろう。
それが、何か大きな失敗をして降格になった。
やる気を失って、毎日地下の倉庫へサボりに
行くようになる。
結婚もしていなく、子供もいないらしい・・・
会社側もなにか、カサマキに対して
後ろめたいこともあり、サボリ続ける
カサマキに対して、注意をしようともしない・・・
フウカは、カサマキと話がしたかった。
カサマキに何が起きたのか?
冨樫も調査を開始しているらしいが、女性として
本人から聞き出したかった。
何か、自分と同じ世界を感じる・・・
冨樫主任には悪いが、これが絶好のチャンス。
カサマキと共にサボリに地下室へ
脱出できるかもしれない?
そう思案し、カサマキを廊下に送り出せると
思ったとたん、冨樫の口から想定外の
セリフが経理部内でこだました。
「星野さん、主任の指示に従ってください!
今は、業務中ですよ!今日も定時で帰るんでしょ。
サボったら、その分取り返すのに無駄なエナジーが
いるんじゃないんですか?あなたのモットーに
反するのでは?」
主任の立場で、星野に意見する。
でも、少し嬉しいフウカ。自分の主旨を初めて
汲み取ってくれた男性。
そんな感情的な淡い気持ちも、冨樫は応える暇もない
様子で、まるでこの場を待っていたかの如く、語り始める。
「あんな暗くて、空気の悪い地下室へ逃げるのは、
もうやめて下さい!
笠牧あづささん!」
カサマキのフルネームを呼び上げる、冨樫。
カサマキのファーストネームを初めて知ったフウカ。
尚も、冨樫は語る。
「ビューティ企画室、昭和六十年に室長と
して就任しましたね。
男女雇用機会均等法が施行されて間もない春、
まるまる商事がバリキャリウーマンを育てることを
スローガンに、中途入社の笠牧さんを
当時抜擢したのです。
いつも前向きに仕事をしていた笠牧さん。
いつかは、女性初の管理職を目指し、
上司に経営改善策の企画書を提出しつづけた甲斐あり、
笠牧さんにとっては、願ってもいないポストだったはずです」
安岡の頬は紅潮から、一気に青白く変色した。
すると、まるでとっくに忘れ去れた物語の続きを語るように、
しゃがれた低いトーンの声が響いた。
カサマキの声だった。
返事の声しか今まで聞いたことがなかった。
フウカとチカコそして富樫主任。
安岡部長にとっては、二十年近く振りに聞くことに
なる声なのか?
「化粧品の買付から、スタッフの割り振りまで
決めるのに、私一人で走り回ったわ・・・
その時は大手のエステサロンが、すでに
ブランディングを強化してがっちり顧客を
掴んでいたから、とにかく他にはない
オリディナリティーを取り入れる必要性があったの」
『オリジナル』と言わず、綺麗な発音で
『オリディナリティー』とさらりと言ってのけるカサマキ。
余剰人員などとても思えない、話し振り。
安岡は、もう諦めたのか机を片付け始め、
経理部を出ようとした。
「安岡部長。勤務時間ですよ・・・
部下の話を聞きませんか?」
チカコが、フィアンセとしてではなく
上司に対して懇願するように口を開いた。
「当時どのエステサロンも使っていなかった、
痩身機器の開発をお願いしたの、長谷川電機に」
「長谷川電機・・・あのエレベーターのメンテナンス会社?」
フウカが、尋ねる。以前、業者として
レベルの低い仕事しかしないと安岡部長に訴え、
入れ替えを提案した業者。そして、冨樫が
毎月百万以上カラ請求にたいして、
送金していると言ったあの業者。
「あの会社にそんな技術力があったなんて・・・」
フウカは、もっとカサマキの話を聞きたく、
更に体をカサマキに近づける。
毎月の不正請求のカギも解りそうだ。
すると、カサマキはフウカの上肢部を
まさぐってきた、でもフウカは拒否もせず、
心地悪さも感じず、されるままになった。
「そう、ちょうどこの太もものところ。
この中の脂肪球を溶かす周波。
低周波が当時主流だったんだけれど、
それではあまり効果がない。
早期に効果の得られる超音波振動を
開発したの」
二十年前は、研究に研究を重ね女性の
身体のしくみも丹念に勉強したのだろう。
スカートの上から、フウカの太ももを
マッサージするカサマキの手つきは
プロそのものだった。次第にリラックスした
気持ちになった。
「その振動部の使用権を巡って、長谷川電機が
まるまる商事に対して、訴訟を興したの。
開発したのは私。技術面で長谷川電機が
手を加えただけ。私は、この振動部をコンパクトにして、
もっとコストを抑えられる取引先と連絡もつけ、
増産もできるプラントも見つけた。
お客様が自宅で、痩身ケアができるような
小型商品の販売計画も立てたの。
当然、振動部はまるまる商事の権利になると
思ったし、裁判で発言する準備だってしていた。
ところが、会社は私を裁判上に立たせなかった。
会社の都合で、勝手に裁判は進められた。
現場のことは、私が一番詳しいはずなのに事
実確認もしてはくれなかった。」
「会社は見放した長谷川電機側の訴訟のせいで、
他のセクションの事業まで悪評判が浸透し
収益はがた落ち。世間では、当時高額な
クレジットを客に組ませる悪徳エステ業者も
続発しており、たとえ裁判で勝ったとしても、
会社の評判は、もっとどん底まで落ちると予想する。
このまま笠牧さんの企画を続けても、まるまる商事
の社会的地位を存続するには厳しいと判断した。
そのまま綺麗にお蔵入りを決める。
やはり裁判では、長谷川電機がかなり優位な立場で
展開していたが相手方は、その権利を逆にまるまる商事
に譲渡すると言って来た。
裁判を途中で切り上げ、賠償金はいらないから、
長谷川電機側にとって都合のよい契約書を交わさせ、
向こう三十年間送金を命じた。」
冨樫が、これまで調査したことを大き目の声で発表した。
これで、カラ請求のなぞが解けた。
「ただ会社の面子のために?そんな無駄なお金を払って、
しかも一人の女性社員を葬り去ったの?」
フウカがたまらず、声をあげた。こんな気持ち
悪い魑魅魍魎が宿る会社でなんとか成功しようと
していた自分を恥じた。
カサマキはフウカの下肢をマッサージする手を止め、
ポケットからくしゃくしゃなタバコの箱を取り出した。
会社は全館禁煙だが、ライターで火を点け、
構わず灰をフロアに落とし始めた。
低音な声から、クリアーなトーンで話を再開した。
「男たちの片腕の中で、ちまちまと仕事をしていれば、
わたしは今頃女性初の管理職になれたかもしれない。
きっと、わたしの企画、開発力で会社全体まで
動かすのかもしれないと男たちは危惧したかもしれない。
だから、裁判で敗訴しそうだというのは、格好の口実。
あれから毎日、地下室へ行って権利書を探しに行ったわ。
だって、あれはまるまる商事が毎月使用料を払っているん
でしょ?なんとか自分のものにして、
ここを辞めるつもりだった、
でもね・・・そうよね、そんな権利書とっくに焼却したに
決まっているわね。」
「カサマキさん、どうしてあれから二十年間も同じ位置で・・・
辞めなかったの?あなたなら、もっと別のところで活躍
できたんじゃないの?」
フウカだけではなく、大抵の人間ならだれでも質問する
ことをフウカは尋ねた。
「フウカさんっていったかしらあなたのお名前・・・
企画を安岡サンに出したんでしょ?よくそんなこと、
聞けるわね。それにね・・・私は『二十年間同じ位置』
になんかいないわよ。あなたは自分の力を会社に
認めてもらいたくて、会社の役に立ちたくて
精一杯企画を考えたんでしょ?
ここではムリだから、他へ転職するなんて
安易なことをひょっとして考えているの?
それだけの思いなの?そんな生半可な思いが
見え隠れするから、男たちは余計あなたを
敬遠しようとするのよ」
さらに、フウカの精神にマイナス三十度くらいの
雹をぶつけられるかのように激しく、
痛く、なぜか熱いメッセージが注がれる。
「会社がもう身勝手な女性活用をしないように、
ここで働きつづけることにしたの。
辞めたら二十年前に築いたことはムダになる。
周りから何を言われようと、左遷されようと、
会社の象徴として居座りつづけることにしたの。
毎日、地下室へ行って、自分が当時書いた企画書を
わざと放置したわ。焼却されても、捨てられてもね・・・
私の痕跡を風化させないように」
フウカは、声を荒げる。
「でもあなたが、そんなことをしても会社は
何も変わっていないわ!男女雇用機会均等法が
制定されて二十年が経っても、
なにも変わっていない。あの当時生まれた
赤ちゃんは成人している。
私の子供は、まだ生まれて四年しか経っていないのに
少しづつ出来ることが増えている。
季節は移り変わっても、そんな暗い復讐劇、
男たちなんか気付いていないわよ!」
チカコもフウカのセリフの続きを述べる。
「専門職の女性チーム有料老人ホーム企画室、
女性事務職を対象に毎年開かれるビジネスマナー教室。
すべて、男性管理職の腕の中で進められているわ」
チカコの話を聞いて、安岡も小さなショックを
受けたらしい。若いフィアンセに忠告され、
チカコも女性社員の一人なのだということを一瞬垣間見た。
さえないしかも、小さな声で安岡は三人の女性に話す。
初めて、真っ当に会社のことを、仕事のことを
女性たちに話すのではないか・・・
「男の仕事。これは、あなた方が思っているほど、
簡単じゃないんだよ。」
フウカは憤慨した。ようやく上司が、
自分たちに重要な話をしてくれるのかと思ったら、
こんなことしか言えないのか・・・
ようやく、カサマキさんが心を開いて
くれたというのに・・・
「あんたは、カサマキさんの思いが解らないの?
年齢はあんたぐらいでしょ?男だったらカサマキさんは、
とっくに役員になっていたのよ・・・
こんな暗い復讐劇をやらせて、二十年間も・・・
気がつかないの!もっと、現場で働く私たちの
考えを一つでも取り入れようとは思わないの!」
だめだ。とうとう、感情をぶつけてしまった。
上司を『あんた』呼ばわりして、アキ子がいたら、
叩かれていただろう。来春異動になるのは、ほぼ決定だ。
冨樫が、冷静に主任らしく安岡に提案する。
「安岡部長、星野さんの企画、そして笠牧さんの
企画をこんど経営会議の場で取り上げませんか?
カサマキさんと星野さんと・・・出来ればオレで
出席させてもらえませんか?」
「わかった・・・」
安岡部長が初めて、女性の部下を表舞台に
立たせようとしている。
しかも、男性部下 冨樫主任の助言で。
カサマキは、二十年間訴えても届かなかった。
フウカは、契約社員の身でも勇気を振り絞って、
同じ企画を出したのに跳ね返された・・・
冨樫の腕には、二十年前カサマキが書いた企画書と、
フウカの企画書が握られている。
(星野さん、味方になりますよ。笠牧さんだって、
オレより先に味方がいたんでしょ?
浦山さんの次にオレ応援しますよ。)
冨樫の心の声は二人には聞こえない。